今夜あなたの夢を見ます

自閉症スペクトラム障害と統合失調症を抱える私が、唯一心的どすっぴんでいられるところ。

掘り出し物レビュー④

 

ワンダーフォーゲル〜ばらの花/くるり
くるりのベストアルバム、「ベスト オブ くるり Tower Of Music Lover」。その出だしを彩る二曲は、私の中ではいつも“ふたつでひとつ”。互いに引き寄せあったりしているわけではなく、ただそっと、その一瞬一瞬を共有している。二度と訪れることの無い時間―或いは空間の中に、ずっと共存しているのだ。
それは「寄り添う」という言葉も当て嵌まらない。その対象が自分以外のものであるという自覚が無ければ、「寄り添う」ことはできないから。
中学三年の時、一人の友人がラジオで聴いたこの二曲をうろ覚えながらに口ずさんで教えてくれたのが出会いである。その友人には悪いが、当時は一体何が良いのか全くわからなかった。彼女の音痴っぷりが祟ったのだと言っても過言ではない。だから初めは音源を探すことも無く、ただ「なんていう人の歌なんだろう」と思う程度だった。友人からは、アーティスト名すら聞きだしていなかった。
そんな記憶も薄れてきた頃、人生で初めて通い始めた塾で仲良くなった先生が授業後の休憩時間に「くるりって知ってる?」と問い掛けてきた。私はただポカンとするだけ。話していくうちにそれが京都出身のバンドの名前だと知り、翌日学校で例の友人に同じく問い掛けてみた。そこでやっと、この二曲とそれを作り上げたバンド名がリンクした。
また塾に向かい、先生に「くるりの曲でこんな曲ある?」と私は友人を見習って口ずさんだ。「僕が何千マイルも歩いたら、って歌詞!」「イントロでピアノがこんなメロディーやった!」と、その時の私にとったら必死になって伝えた。そして、今から思えば奇跡のようだが、先生はその次の授業でMDを一枚譲ってくれた。その中には、私がなんとか汲み取って欲しくて一所懸命歌った曲がふたつ、ちゃんと収録してあった。
それから、七年の月日が流れた。決して短くはない期間である。その間に私は何か変われただろうか。このくだらない自問自答はいつまで経っても答えが出ず、最後は必ず情けない諦めと後悔がやって来る。私は何も変わっていない。七年前と同じまま、無知で、子供で、他人任せな人間である。それでも、希望が見える瞬間もある。何の根拠も無いくせに矢鱈と輝かしいその光は、変われなくてもいい、変化だけが“成長”ではない、と優しく私を照らしてくれる。 「変わる」ことが「良い」ことだとは限らない。それと同時に、全ての「不変」が「悪い」ことだとも言い切れない。
この二曲は、七年前と比較したって何も変わっていない。初めて耳にした時から今の今まで、ずっと私の中に穏やかで暖かな光を灯してくれている。その明るさや温度を変えることも無い。いつでも同じ優しさを以て、時に真っ暗闇になった私の中を明るくしてくれる。そしてそれはこれからも変わらないのだろう。何一つ変わること無く、いつまでも私の心の内で暮らしている。
音楽を始めとし、芸術には十人十色の捉え方があって当然だろう。勿論、この二つの曲が何かを変える為の良い機会になる可能性も大いにあると思う。しかし、「変化」を促したりもたらしたりする類の曲ではない、と私は勝手に決め込んでいる。急かすことも無ければ追い風になることも無いが、その代わりにずっと傍にいてくれる、自分に最も相応しい伴侶のような曲だと。
離れてしまうのではないかと怯える必要は無い。
なぜなら、“ふたつでひとつ”なのだから。私の中で「ワンダーフォーゲル」と「ばらの花」がそうであると同時に、「私」とこの二曲――「思い出のうた」も、いつだって“ふたつでひとつ”なのだ。
#ワンダーフォーゲル #ばらの花 #くるり #towerofmusicloverf:id:fuuka1951ck:20171014201551j:image